生活保護の患者さんが看護師の私に送ってくれた一枚の葉書

「生活保護でお金のない患者さんが死ぬ前に看護師の私に送ってくれた一枚の葉書」

皆さん、こんにちは。
そしてお疲れ様です。
受け持たせて頂いた患者さんの事は、いつまでも忘れない看護師のマキ@kangoshisan_nです。

私は仕事柄、エッセイなどではよく闘病記(闘病録)を読ませて頂く機会が多いのですが、その反対に私は受け持たせて頂いた患者さんとの想い出を、自分の中で看護記ならぬ看護録としています。

今日は、その看護録の中でも特別な、私の出会った患者さんの話をしようと思う…。

もしかしたら偏見もあるかもしれない。

価値観は人それぞれだから。

でも、私の看護観にすごく影響した出会いだったので、このブログでは絶対に話たいと思ったのです。

患者さんとの出会い

出会いは緊急入院だった。

当時、看護師一年目だった私はHCUが併設された一般急性期病棟に配属していた。

そこに肝硬変の終末期で緊急入院してきたのがK氏だった。

原疾患、それによる多臓器不全が重なっていて腹水・下肢の浮腫著名、また入院前にホームレスのような生活をしていた事も影響し皮膚の状態は魚鱗癬、臭気がすごくて、もう入院時から生活習慣・環境の悪さが伝わった。

それに入院当時は緊急入院での不安からか、お金の不安からか、治療・看護ケアの必要性も理解しない、いわゆる頑固なおじさんだった。笑

緊急入院した翌日から、点滴する必要はあるのか、ベッドバス・髭剃りなどの整容も含めた清潔ケアをしたくないと断固拒否していた。

しかし、話始めると人懐っこい性格で、そのうち看護師と話すのが楽しくなった様子。

徐々に看護師が保清への説明もヒートアップすると

「マキちゃんが言いうなら分かりました~。マキりん。」

などと次第にコミュニケーションが取れるようになっていった。

患者さんの闘病記

K氏にはたった一人だけ、遠く離れたお兄さんがいた。

身内は兄だけだった。

ただ面会に来る事はなかった。

K氏はもともと真面目な性格だという事はすぐに分かった。

一度、必要性を理解出来た治療・清潔ケアには自ら「コレやった方がいいかな?」とか聞いてきて、割とすぐに適応して積極的になっていく。

看護師が指導した内容はよくメモを取っていたし、テーブルや棚がぐちゃぐちゃだったのも、指導後しばらくすると整理するようになっていた。

状態が安定してくると朝起床して朝食前に院内図書の小説を読み、私を見ると毎朝「マキちゃ~ん!!おはよ~~~~!!」といってくる。

Kさんは素敵な笑顔でいつも挨拶して下さり、前向きに闘病されていた。

しかし、Kさんは肝硬変の終末期、実際は相当辛かったと思う。

栄養状態を改善後、浮腫は大分軽減して軽くなら歩けるようにもなったが、もう出来ることは対処療法しかなかった。

電話で兄と相談した結果、急性期病棟から施設に転院して終末期を兄の近くで過ごす事になった。

転院が決まってからの患者さん

K氏は、いつしか私を見ると

「マキちゃーん!!おはよ。今日も頑張るねー!!」

が口癖になっていった。

転院の話が出た後、お兄さんが遠方から面会に来てくれるようになった。

K氏は転院先が決まると、お兄さんから聞いた転院先の施設の場所・部屋の雰囲気・外観などを、事細かにどんな施設かよく聞かせてくれた。

「転院したら、マキちゃんと会えなくなるのは寂しいなぁ。」

「手紙書くね~、家教えて?嘘だよ~。笑」

「ここでの生活を励みに頑張るよ、忘れないでね。」

退院に向けた指導が進むと、だんだんK氏からは上記のような発言が聞かれた。

また、私がいない時は別の看護師に私の事をいつも話していると、スタッフが教えてくれた。

スタッフの中には、私に対するK氏の態度に対してやや不気味そうに心配するスタッフもいた。

でも、私はK氏との関わりの中で、信頼関係を築けた結果、自分の存在もどこかでK氏の励みになっていると思えた。

私はK氏とそのような関わりを持てた事が嬉しかった。

患者さんの転院、そして一枚の葉書

K氏の転院する日がついにやって来た。

数か月という期間であったが、私はK氏を受け持たせて頂いた事で、看護師としてK氏から学ばせて頂いた事がたくさんあった。

それに、毎日笑顔で挨拶して下さるK氏から私自身も毎日パワーをもらっていた。

だからこそ、K氏の苦痛が軽減するように、転院後も継続して闘病意欲が出るような関わりを持ちたかった。

「マキちゃん、本当にありがとう。僕にとっては本当にマキちゃんがいたから頑張れた。励みにして次の施設でも頑張るから忘れないでね。また手紙かくからね。」

K氏は最後まで心配させないような笑顔で、スタッフや同室患者さんへ挨拶を行い転院していった。

そして3か月後、私宛に一枚の葉書が病棟に届いた。

無事にお正月を乗り越え、施設での生活を送っている事が嬉しくて、他のスタッフとも一緒に喜んでK氏の話をしていた。

K氏を受け持つ中では、他のスタッフからK氏との関係性を不気味に思われ心配されていた事もあった。

その時は、一番信頼できる先輩に相談した事もあった。

その先輩は、届いたこの葉書を見て、

「こうやって病棟に手紙が届いたのはあなただけよ。良い看護だったと自信を持ちなさい」と言ってくれた。

私は安心して次の患者さんに向き合いながら、日々仕事を頑張っていた。

旅立ちはすぐに訪れてしまった

葉書が来てから1か月後、K氏は息を引き取ったと地域連携スタッフより伝えられた。

これは分かっていた現実だった。

ただ、生活保護でお金も不自由であった事、人生の最期が近く苦しい中、あの葉書を書く事にどれだけの苦痛や困難を伴ったのだろう…

K氏の事を考えるといたたまれなくなった。

とにかく、もう会えないK氏に心の中でたくさんのありがとうを何度も何度も言った。

それから、私の看護録の中にはいつもK氏が笑顔で生きている。

人は人生で二度死ぬ

私は、人は人生で二度死ぬと思っている。

一回目は体が死んだ時。

二回目は人の心からその人の存在が消えた時。

だから、K氏は私の中で生き続けている。

この葉書を見ると、看護師としての初心を思い出させてくれる。

きっと、看護師として初めてもらったこの葉書を私はいつまでも捨てられないと思う。

今もK氏に対しては看護観を成長させてくれた事に、たくさんの感謝をしている。

看護師は人の人生の最初と最後に立ち会う事が出来る唯一の職業だと思う。

近年、看護師も医療専門職としての高度な資質やキャリア求められている時代。

看護師として経験年数を重ねると日々多忙な業務や役割に追われて、一番大切な患者と看護師の関わりについて疎かになってしまう事もある。

だから、自分のためにも同じ看護師のためにも、人の人生に携わる仕事という意味で看護録を今残して伝えていきたいと思った。

これからも患者さんとの看護録を大切に積み重ねて、私は看護をしていきたいと思った経験でした。

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